About Jipangu Times
History of the Jipangu Times Establishment
On January 7, 2022, Kazuyoshi Hirao (Philosopher), former professor at New Mexico Tech and director of Metaph Lab, launched Jipangu Times as one of the projects of Metaph Lab after retiring from a university in order to help university students in Japan and abroad learn about the "real world" rather than just what they learn in textbooks at school.
Jipangu Times aims to "communicate the real world to students" and has researchers from various fields, including mathematics, computer science, linguistics, sociology, criminology, and physics gather together to write articles that are useful to students.
Kazuyoshi Hirao, Ph.D.
Jipangu Timesの設立経緯
2022年1月7日、元ニューメキシコ工科大学教授でMetaph Lab所長の平尾一美(哲学者)は、日本の大学を退職後に日本や海外の大学生に学校で教わる教科書の上のことだけではなく〝リアルな社会〟を知ってもらうためにMetaph Labのプロジェクトの一つとしてJipangu Timesを立ち上げました。
Jipangu Timesでは、〝学生に社会のリアルを伝える〟ことを目標に、数学、コンピューターサイエンス、言語学、社会学、犯罪学、物理学などの
あらゆる分野のバックグラウンドの研究者が集まり学生の役に立つ記事を書くことが目標です。
Jipangu Times 概要
代表者/編集長
ホームページ
Metaph Lab
Jipangu Times
http://jipangu-times.hatenablog.com
お問い合わせ
metaph.lab@gmail.com
住所
Tokyo, Japan
Metaph Lab内
Kazuyoshi Hirao Profile 平尾一美 プロフィール

Kazuyoshi Hirao, Ph.D. Founder
Born in Setagaya, Tokyo in 1955. Philosopher/Ph.D. in Educational Linguistics from The University of New Mexico. Former professor at New Mexico Tech. Founder of Metaph Lab and Jipangu Times. Completed the Ph.D. Program in Educational Linguistics at the University of New Mexico. Lived in the US for 18 years. Taught at New Mexico Tech for 10 years, and after returning to Japan, taught at a Japanese university for 10 years before founding Metaph Lab. He spent the last few years of his life battling stage 4 terminal cancer with 22 bone metastases.
平尾一美 創設者
1955(昭和30)年、東京都世田谷区生まれ。哲学者/教育言語学博士(Ph.D. from The University of New Mexico)。元ニューメキシコ工科大学教授。Metaph Lab創設者。Jipangu Times創設者。米国州立ニューメキシコ大学教育言語学Ph.D. Programを修了。渡米18年。ニューメキシコ工科大学で10年間教員、帰国後、日本の大学で10年間教員を経てMetaph Labを創設。骨転移22箇所のステージ4の末期癌と闘いながら余命数年の残りの人生を過ごした。
銃乱射事件の緊迫現場… 防弾チョッキ姿の犯罪捜査官、当時の心境を取材

著者:田中慎太郎(フリーライター)
X(旧Twitter):https://x.com/25Tanaka_RU?t=7b10vwEtpECfQbN_Jh9Ieg&s=09
取材を受けた人:Makotoさん(元米陸軍憲兵、元犯罪捜査官)
X(旧Twitter):https://x.com/CW2_Makoto?t=6xYO7KwrWKS3zZw4i7q1-w&s=09
いつもどおりの朝を迎え、普段と変わりない日常だった、「緊急無線」がなるまでは....
「普通に勤務をしていたら、突然、憲兵から通報が来て『発砲事件が起きた!犯人はアクティブシューターだ!』と言われたんです。アクティブシューターと聞いて銃を乱射している様子を想像し現場に急行しました。現場には犯人の姿がなく、銃を持っている犯人はどこかに隠れている状況だったんです。みんな防弾チョッキを来て、緊迫した状況の中、2時間かけて犯人を探し出し殺人未遂で逮捕しました。」
と語るのは元米陸軍憲兵、元犯罪捜査官のMakotoさんだ。世界最強の軍隊として知られる「米軍」、その中には主に「陸軍」、「海軍」、「空軍」の3つ組織がある。この中で一番大きい「陸軍」で犯罪捜査官をしていた人物に話を聞いた。彼は米軍の中の警察とも呼ばれる憲兵から乱射事件の通報を受けて犯罪捜査官として発砲事件を捜査した人物だ。
彼は今、YouTubeで話題の人物の一人だ。英語と日本語を流暢に話すバイリンガルで米軍憲兵時代や犯罪捜査官時代の経験を日本語で伝えて注目を集め多くのファンがいる。
彼はどのような人生を歩んできたのか
「私は人種的には完全に日本人です。日系4世の父と日本人の母の間に生まれました。米陸軍の父の勤務地である沖縄で生まれて神奈川県に引っ越し8歳までを日本で暮らしました。」
Makotoさんは英語と日本語の会話だけではなく読み書きもバイリンガルにできるのだ。Makotoさんは8歳のときに日本からアメリカに引っ越した。アメリカでの生活もバイリンガル教育がすごい。
「小学校から大学生までをアメリカで育ちました。母のバイリンガル教育はすごく熱心で家庭内は『日本語』で話していたんです。当時は珍しかったですが、1つのチャンネルしか入れなかった衛星テレビを入れて日本のテレビを見ていました。あと、祖母が日本のテレビを録画して送ってくれて、日本のテレビを見ていました。」
Makotoさんは大学は2つ卒業し、「日本語専攻」と「法科学専攻」を学んだ。
「大学は2つ行ったんです。1つめの大学は日本語を専攻しました。4年で卒業して、将来犯罪捜査官になりたかったので、ROTCという予備士官訓練プログラムに行きながら、2つめの大学で2年間、法科学(鑑識分野)の勉強をしていました。大学卒業後はROCTプログラムも終えて士官になりました。」
「学生時代は州軍にいたのですが、大学卒業と同時にROTCプログラムを終えて士官として連邦軍に入りました。父も陸軍だったので陸軍への憧れがありました。あと、陸海空軍の中で陸軍が一番大きいので、ポストも多いので機会がたくさんあるので陸軍を選びました。」
憲兵として活躍
「士官になったときはMP(憲兵)になりました。軍の中の警察ですね。主に基地の警備や犯罪を取り締まっていました。実は、戦争には行ったことがないんです。憲兵は味方を守ることを目的としているので、戦場では憲兵は基地の警備や車両に乗って車両の護衛や警備をするんです。あと、逮捕することにも慣れているので、捕虜を扱うこともあります。」
犯罪捜査官として活躍
「実はFBIを目指していたんです。憲兵の契約期間を終えたらFBIに応募しようと思っていたんです。ですが、陸軍内の犯罪捜査機関のCIDっていう組織があってそこで犯罪捜査官を募集していたので応募して犯罪捜査官になったんです。犯罪捜査官は軍内の事件の捜査をして逮捕するんです。」
9ヶ国語を話す天才MBA26歳
著者:編集部
取材を受けた人:Yukiさん(9言語を話せる天才)
9ヶ国語を流暢に話す天才26歳
現在26歳のYukiさんは9つの言語を話す。9つの言語の内3言語の英語、日本語、インドネシア語はネイティブである。そして、その他の6言語の中国語、ロシア語、フランス語、スペイン語、ベトナム語、台湾語は勉強中で日常会話することができる。Yukiさんの人生についてインタビューしてみた。
幼少期はアメリカで育った
Yukiさんの父親は日本人で母親はインドネシアである。Yukiさんはインドネシアで生まれ、小学校5年生までの幼少期の大半をアメリカで過ごし現地の小学校に通い英語のネイティブスピーカーとなった。小学校5年生のときに日本に帰国し日本の小学校に入学した。初めての日本の学校で最初は会話や読み書きが苦労したが、毎日の学校での授業や友達との会話を経て数カ月後にはネイティブスピーカーになったという。インドネシア語は祖母と友達との会話で使っていたためネイティブスピーカーとして話すことができるという。その他にも小学校6年生のときからフランス語教室に通いフランス語を勉強していたこともあり日常会話を話せるレベルになったと語っている。
英米文学科に進学
語学の勉強が好きなYukiさんは大学は英米文学科に進学した。第二外国語では中国語を選択し中国の大連市にある大学に交換留学生として留学して勉強していた。中国での留学生活もあって中国語での日常会話を話せるようになったという。Yukiさんは第三外国語でロシア語を選択、そして、スペイン語も勉強した。現在は、ベトナム語と台湾語を勉強しているという。
防衛省専門職員に、パイロットを目指す学生に英語を教える
Yukiさんは大学卒業後は防衛省専門職員としてパイロットを目指す学生に英語を教えていた。
夢に向かって大学院で勉強
現在は、防衛省専門職員を退職し、Yukiさんはビジネスを始めたいという新しい夢に向かって大学院でMBAを取るために勉強している。
ウクライナ出身の歌姫NASUさんに取材

著者:編集部
取材を受けた人:NASUさん(ウクライナ人モデル/タレント)
ウクライナ出身で大阪を拠点に活動しているNASUさんにインタ ビューしたみた。
NASUさんはウクライナ出身で10年前に来日して現在はモデルや タレントとして大阪を拠点に活動している。 NASUさんは4ヵ国語を流暢に話すことができる。母国語であるウクライナ語、そしてロシア語、英語、 日本語と母国語以外にも多数の言語を流暢に話す。NASUさんは子供の頃に日本の音楽(V系)に興味を持ち日本に興味を持つよ うになったという
高校を卒業するころには日本に行ってみたいと思うようになり、 日本語を勉強し日本に来日した。 最初は日本語の勉強で難しいところもあったが日本の音楽とドラマを見 ていたこともあり楽しく日本語を勉強することができたという。 現在はモデルやタレントとして活動しており、趣味ではギターで弾き語りをしている。
4ヵ国語を話せるNASUさんは日本語や英語以外にも母国語であるウクライナ語での歌を歌うことができ音楽の可能性が 無限大である。
夢はモデルやタレントとしてもっと活躍の場を増やすことだという 。
「私らしく、生きていく」ニューハーフAV女優・ 一二三ゆぅりの物語
著者:編集部
取材を受けた人:一二三ゆぅりさん(ニューハーフAV女優)

東北で生まれ、 今は東京で自分の人生を全力で生きている一人の若きニューハーフ AV女優がいる。その名は一二三ゆぅり。彼女は現在21歳。 透明感のあるルックスと芯のあるまなざしが印象的な女性だ。
今回、彼女のこれまでの道のりと、 これからの夢について話を聞いた。
女の子になりたかった高校時代
「最初は、ただ『女装』が好きだったんです。 普通に共学の高校に通ってたんですけど、 休みの日に家でこっそりメイクをして、自分が“女の子” のように見えるのが嬉しくて」
高校では「女の子として生きたい」 と口にすることは簡単ではなかった。誰にも言えず、 部屋の中だけが自分らしくいられる居場所だったという。
高校では数学や物理が得意で、成績も優秀だった。 自分の内面と周囲の期待とのギャップに悩みながらも、「 理系の道で一人暮らしをすれば、 自分らしく生きられるかもしれない」と思い立ち、 高校卒業と同時に上京する。
プログラマーとして社会に出る日々
東京で彼女が最初に選んだ職業はプログラマー。 理系科目の得意さを活かして、ソフトウェア開発の現場で働いた。
「今思えば、当時は『性』よりも『自立』 を優先していたと思います。 まずは一人で生きていく力をつけること。 将来的に何をするにしても、それが必要だと思ったんです」
職場では男性として振る舞いながら、休日は女装して出かける。 二つの自分を切り替えながらの生活は決して楽ではなかったが、「 あの時期があったからこそ、今の私がある」と振り返る。
そんなある日、彼女の人生を大きく変える“出会い”が訪れる。
突然やってきたAV出演の誘い
「突然の出会いがあり、声がかかったんです!“ ニューハーフとしてAVに出ませんか?”って。 最初はもちろんびっくりしました。というか、半信半疑でしたね」
当初は不安も大きかったが、正式な出演が決まると、 彼女は自分の中にある“女性として見られたい”“ 女優として輝きたい”という欲望に正直になる。
「“やってみたい”っていう気持ちが不思議と勝ってたんです。 自分の“女性としての存在”が、 画面を通して認められるという感覚に惹かれていったんだと思いま す」
そして、ニューハーフAV女優・一二三ゆぅりが誕生する。
手術とリハビリの日々
順調にキャリアをスタートさせた彼女だったが、昨年、 思わぬアクシデントに見舞われる。
「ある日、急に腰が痛くなって立てなくなって。 そのまま病院に行ったら『ヘルニアです』って言われて。 かなり進行していて、手術が必要とのことでした」
数時間にも及ぶ大手術。AV業界では“体が資本”であるだけに、 復帰できるかどうか、本人も医師も半信半疑だったという。 しかし彼女は奇跡的な回復を遂げる。
「本当に運が良かったと思ってます。後遺症もなく、 リハビリを続けたら普通に歩けるようになって。 数カ月後には現場にも復帰できました」
この経験は、彼女の心に大きな変化をもたらした。
“ニューハーフ”として生きること
AV業界で「ニューハーフ女優」として活動する一二三さん。 世間にはまだまだ誤解や偏見が多い立場だが、 彼女はそれを怖れない。 SNSでも自分の気持ちや日常を発信しる。
これからの夢
最後に、今後の目標について聞いてみた。
「もっと幅広いジャンルで活躍したいですね。 AVの世界でもっと活躍したい。自分の経験をちゃんと“発信” していきたいです」
21歳。まだまだ若く、そして可能性に満ちた女性―― 一二三ゆぅり。彼女の物語は、これからも続いていく。 そしてきっと、その一歩一歩が、誰かの勇気になっていく。
元カナダ軍人・うるせぇ兄さんが語る「サバイバルと護身の本質」 二つの国と文化を生きた男の現在地
著者:編集部
取材を受けた人:うるせぇ兄さん(元カナダ軍人)

静かな語り口の中に、鋭い眼差しが光る。YouTube上では「 うるせぇ兄さん」という名前で活動する彼は、数々の厳しい訓練と実戦的な知識が詰まっている。 彼は、かつてカナダ軍に所属し、ナイフ格闘、銃火器の取り扱い、 そしてサバイバルスキルを徹底的に叩き込まれた人物だ。
「子どものころから“ もしもの時に自分や大切な人を守れる存在でありたい” と思っていました」

そう語るうるせぇ兄さんは、 日本とカナダを行き来しながら育った。 日本語も英語もネイティブレベルで操る彼にとって、 二つの国の文化や価値観を行き来する生活は当たり前のものだった という。
そんな彼が軍隊という世界に興味を持ったのは、 思春期の頃だった。日本の自衛隊ではなく、 彼が選んだのはカナダの軍隊だった。
「英語が話せるし、 どうせなら厳しい環境に身を置いてみたいと思ったんです。 自分を試したかった。」

彼はカナダ軍の入隊試験を受け、見事合格。 その後は厳しい訓練の日々が続いた。基礎訓練では体力、精神力、 規律が問われる。加えて、ナイフを使った近接格闘術、 拳銃やマシンガンを含む各種火器の使用訓練も受けた。さらに、 極寒の中でのサバイバル訓練もあった。
「キャンプというより、もはや生き残るための“戦場の学校” でした。水も食料も自分で確保しなければならないし、 夜も気が抜けない。人間、極限状態では本性が出るんです。 仲間を助け合えるか、それとも自分のことだけ考えるか。その分、 人間関係も深くなるし、信頼が生まれる」
そうした経験が、現在の活動にも大きく影響している。 軍を除隊後、彼は日本へ戻り、 元カナダ軍人としてYouTubeで発信を開始。動画では、 ナイフや銃の扱い方はもちろん、 護身術や危機回避の考え方についても丁寧に解説している。
さらに、彼は対面での護身術講座も展開。 とくに女性や子ども、介護職などの“守る立場にある人” への指導に力を入れている。
うるせぇ兄さんの活動には、カナダ軍で学んだ実践的なスキルと、 日本の社会に生きる中で感じた“危機意識の低さ” への問題意識が根底にある。 彼は単なる格闘家やミリタリー系インフルエンサーではない。 自らの経験をもとに、「どうすれば誰かを守れるのか」「 どうすれば危険を避けられるのか」を真摯に問い続けている。
厳しい訓練を経て帰国し、 再び日本社会と向き合っているうるせぇ兄さん。その背中は、 戦いを経験した男だからこそ語れる“平和のための力” を体現している。
日本人露軍義勇兵、3つ目となる勲章受賞
著者:編集部

写真:金子大作さん勲章受賞後の写真
日本時間、2025年2月23日(日)午後6時頃、ロシア軍に所属する日本人義勇兵の金子大作さんが1年後の勲章の受賞を予定していたが昨日3つ目となる勲章を受賞した。

写真:金子大作さんが受賞した3つ目の勲章

写真:金子大作さんが受賞した3つ目の勲章

写真:金子大作さんが受賞した3つ目の勲章
国境付近で暗躍する闇のブローカー、警察も入れない国境にある宗教施設の裏側とは

著者:田中慎太郎(フリーライター)
取材を受けた人:大前プジョルジョ健太さん(元TBS職員)
国境付近で暗躍する闇のブローカー、警察も入れない国境にある宗教施設の裏側とは
今回は元TBS職員の大前プジョルジョ健太さんにアメリカとメキシコの国境の闇について話しを伺った。アメリカとメキシコの国境線の上にモンテクリストレイ教会というキリスト教系の教会施設がある。その施設にはアメリカ側、そしてメキシコ側の警察や国境警備隊関係者も簡単には立ち入ることができない。トランプ大統領がメキシコとの国境に壁を作っているが、この宗教施設の敷地の国境線の上には壁を作ることができない。

つまり、アメリカへの不法入国の抜け道となっているのだ。それをいい事にメキシコからアメリカへの不法入国を試みる人を闇のブローカー達が国境付近で待ち構えているという。アメリカへの不法入国を試みる人は最初にメキシコ側のブローカーにお金を渡して国境線の上にある宗教施設を通してもらいアメリカ側にいるブローカーにアメリカに不法入国を手伝ってもらっているという。

大前さんは最近、「国境デスロード」というABEMA TVの番組で有名になっている。大前さんは南米から中米、メキシコを通ってアメリカへ渡ることを試みている人達に同行し取材している。トランプ大統領が何年も前から演説で話しているとおりメキシコからの不法移民がアメリカに沢山住んでいることが現実だ。
そして、バイデン政権になってからアメリカの移民申請が「CBP One」というスマホのアプリによって簡易化されたことも事実である。このアプリを通して移民申請が通る確率は0.6%だが、1%にも満たない希望にかけて中南米からたくさんの人がアメリカの国境を目指して歩いている。
大前プジョルジョ健太さんの生い立ち、TBS職員から無職の道を選んだ訳とは
大前さんは大阪で生まれた。大前さんの父はシャープの幹部で母はキャビンアテンダントだった。祖父は元神風特攻隊で元警察幹部だという。大前さんは大阪で生まれ育ち、幼い頃からインドネシアに行ったり他国の文化に触れながら育ったという。そして、大前さんは社会学を学ぶために法政大学に進学した。

上京して感じたことの一つが「東日本大震災」の被害である。東日本大震災の起こった当時(2011年)、大前さんは中学3年生で高校受験の勉強をしていた。当時、大阪に住んでいた大前さんにとって東北、関東で起こった震災は非現実的でおとぎ話のようだったという。

大前さんは上京(2014年)して大学進学をして宮城県などの東北地方出身の友達ができて東日本大震災の現実を知ることとなった。 東日本大震災に興味を持った大前さんは宮城県石巻市を訪れた。そこは震災から3年経った当時でも震災で家を無くした人達が仮設住宅で暮らしていたり、震災前の元の生活には戻っていなかったという。そのような状態では当然ながらエンタメがない。石巻市で有名なお神輿や獅子舞も津波によって流されてしまった。

若者は都心へ移住し高齢化が深刻化する被災地を笑顔にしたいと思い、大前さんは友達と一緒に音楽や落語、漫才、そして花火を行ったという。この被災地復興支援のために大前さんは花火を上げる免許をとったという。この被災地復興支援の活動が大前さんの所属する社会学部の研究と繋がりクラウドファンディングや企業への支援の呼びかけを通して資金を集め被災地を支援していたという。
犯罪パパラッチからTBS職員に
大前さんは大学4年生のときに単位がすべて取り終わっていたため時間があったため、インドネシアに行きインドネシアのテレビ局の犯罪パパラッチとして働いていた。テレビ局は夜勤の記者が少ないため、フリーの犯罪パパラッチから写真を買っていたという。大前さんは無線が入ると先輩の犯罪パパラッチのバイクの後ろに乗り事件現場に駆けつけて写真を撮っていたという。


仕事を辞め、自由を手に入れた

帰国後、大前さんはTBSに入社し報道局の記者、そしてバラエティ番組などを経験し「仕事を辞めたらどうなるんだろう?」という疑問を持ち上司にそのような番組制作の企画を提案しその流れで退職届を出し退職したという。退職後はABEMA TVの「国境デスロード」の番組制作のお仕事をしたりしている。
ロシア軍病院入院生活と娯楽(金子さん#3)
著者:田中慎太郎(フリーライター)
取材を受けた人:金子大作さん(日本人露軍義勇兵)

ロシア陸軍の病院での入院生活はどのようなものなのだろうか....
金子さんは戦闘の中でたくさん怪我をしロシア陸軍病院で現在、入院している。金子さんの写真の来ているパジャマはロシア陸軍から支給されたものだという。金子さんは肩を銃で撃たれることもあったりと、金子さんの体の傷跡が戦闘の悲惨さを物語っている。


金子さんはこのレントゲン写真からもわかるように背中の怪我は迫撃砲弾の爆発の破片である。
そのため、手術を受けなくてはいけない。金子さんはロシア陸軍病院で背骨の手術を受けるために入院しているという。

入院生活では食事と診察がメインの生活だ。インターネットはときどき通信が悪くなるものの問題なく使えるという。いつになるかわからない手術を待っているという。
娯楽はタバコ、だがそんな時も忘れない、ロシア軍のことを
金子さんの娯楽の一つが喫煙だという。その写真にも載っている赤いライターもロシア軍からの支給された物で、タバコを吸っているときでさえロシア軍のことを忘れないという。まとまった睡眠時間もとれない軍での生活の中で隙間時間を楽しめるタバコは兵士にとって楽しみなのかもしれない。
ロシア軍の義勇兵になるためにとった行動とは....(金子さん#2)
著者:田中慎太郎(フリーライター)
取材を受けた人:金子大作さん(日本人露軍義勇兵)

露外務省に手紙、露軍義勇兵に志願
金子さんはタイでウクライナ紛争のニュースを見てロシア軍の義勇兵になることを決意したが、ロシア軍に知り合いもいなくロシア軍に入隊することはかなり困難だったという。金子さんはロシア軍の義勇兵になる手続きをするためにタイから日本に帰国し、ロシア外務省に手紙を送った。そして、ロシアに行くこととなったという。ロシアに行ってからは義勇兵としてロシア陸軍に入隊しクルスクなどのウクライナ紛争の最前線で戦っている。
戦闘での過酷さを想像させる怪我

金子さんはロシア軍の義勇兵になる前に日本やタイで戦闘訓練を受けていた。しかし、本物の戦闘の現場はその悲惨さが違った。金子さんは写真からもわかるように左足は靱帯を切ったそうです。
腕や背骨、足首など体のいろいろな部分を怪我し手術をしたり治療したりしている。現在は陸軍の病院に入院し療養生活を送っている。
ロシア陸軍の病院での入院生活はどのようなものなのだろうか....3
板金屋から露軍義勇兵になった日本人
著者:田中慎太郎(フリーライター)
取材を受けた人:金子大作さん(日本人ロシア軍義勇兵)

タイで見たニュースが心を動かし、板金屋から露軍義勇兵に
ウクライナ紛争の最前線にいるのは大阪出身の日本人の金子大作さんだ。彼はもともとは大阪で板金屋を経営していた。彼はタイで見たウクライナ紛争のニュースをきっかけに「欧米の報道との違い」を感じウクライナ紛争に対する考え方が変化しロシア軍の義勇兵になる道を選び、今も最前線で戦っている。
2022年2月にロシアの特別軍事作戦が始まり間もなく3年が経つ。この3年もの間、アメリカをはじめとするヨーロッパ、そして日本はウクライナ側を支援してきた。欧米や日本からも(少ないかもしれないが)ウクライナ軍の義勇兵になった方はいる。しかし、「日本人がロシア軍の義勇兵になった。」という話は聞かない。
大阪出身の金子大作さんは特別軍事作戦が始まった当時、タイでロシアによる特別軍事作戦の開始のニュースを見ていた。ネットを通して日本の報道を見ている中で「欧米との報道の違い」を感じたという。子供の頃から軍事関係のことが好きで「死ぬときは戦場で」と考えるようになり、日本では板金屋などのビジネスをして成功していたが、その成功で手にした物を手放してまでロシアに来たという。
2020年頃から日本で戦闘訓練を受けるようになり、2021年頃からタイで実弾を使った射撃訓練をしていた。
そして、金子さんはロシア軍の義勇兵になりたかったがロシアに知り合いもいなく、ロシア軍に入隊すること困難だったと語っている。彼はロシア軍の義勇兵になるための手続きをするために....
金子さんがロシア軍の義勇兵になるためにとった行動とは....2







