【取材#2-2】 東日本大震災のとき刑務所はどうなっていたのか?(#2)

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著者:Jack Law

取材を受けた人:吉田ジェイルさん

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東日本大震災のとき刑務所で何が起こっていたのか?

2011年3月11日午後2時46分、 日本中を一瞬にして混乱させた出来事があった。 今も記憶が新しい人は少なくない。 その出来事とは東日本大震災である。 東北地方や関東地方ではたくさんの建物が壊れ、 電気や水道は止まり人々の生活を苦しめた。

 


あの日、 宮城刑務所にいたジェイルさんは風呂から上がって舎房にいたとこ だった。

刑務所はどんなことがあっても扉を開けてくれない。 刑務所の重く閉された扉は震災の最中も開くことはなかった。

 


地震発生の直後、刑務官達は逃げた

突然の大きな揺れに受刑者達は激しく動揺した。 舎房巡回の刑務官に尋ねても本人達も何が起きているかわかってい ない。それどころか上司の判断を仰ぐために持ち場から離れ、 あろうことか自分だけ避難する者もいた。しかし、 たった一人の刑務官だけは「大丈夫、大丈夫だ、俺が助けてやる! 」と大きな地震の中、 刑務所の廊下をヘルメットを被りながら駆け回っていた。 普段は厳しかった刑務官だったがあの姿に受刑者達は感動し、 その後、その刑務官に対する受刑者達の見る目が変わったという。

 


だんだん食事の量が少なくなっていった

震災で刑務所の調理室が使えなくなってしまい非常食で用意してあ ったチョコとパンが配給された。 甘いものを口にすることが限られている生活ゆえに、 そんな食事もたまには良かったという。ただ、 その喜びも束の間だった。 日を追うごとに食事の品数が減っていき、 ついには乾パンだけになった。 目の前の食事の量が減っていく様子が、 のちに知る震災の凄惨な影響を物語っていた。

 


震災を知ったのは3日後

宮城刑務所は震災の影響でテレビも見れなくなり、 情報は中に入って来なくなった。 事の重大さを知ったのは3日後である。 ジェイルさんは外が大変な事になっていることをラジオを通して知 ったが、 外にいる家族や友人のことをいくら心配しても助けに行くことはで きなかった。

 


ご飯と味噌汁に感動

震災発生から半月程経ったころ、 ようやく電気の復旧も進み刑務所でも久々に食事が作られた。 その食事はご飯と味噌汁だけだったが、 久しぶりの温かい食べ物に感動したという。

 


震災の影響によってたくさんの人の生活が変わったが、 それは刑務所とはいえ同じであった。 震災を通して普通の生活のありがたみを実感したという。

 

【取材#2-3】半グレ、強盗などの罪で逮捕、懲役14年(#3) - Jipangu Times